十二月も半ばに差し掛かり、半月もすれば新年になるこの時期に雪ではなく雨が降った。
 いつもの帰り道、雄二と別れたあたりからしとしとと降り始めた。そんなに気にするほど強くもなく、鞄に入っている折り畳み傘は部屋でノートを漁るためにひっくり返したときに仕舞い忘れたらしいのでそのまま歩いて帰った。
 強さが増すことも無かったが、塵も積もれば山というように家に帰り着く頃には案の定、濡れ鼠となっていた。
 そして次の日、つまり今日、目が覚めると猛烈に喉に違和感を感じるわ、ベッドから起き上がると世界が揺れているわで酷い状態だった。
 どう考えても昨日の雨で風邪を引いたらしい。

 手すりに捕まりつつ一階へ降りるとまず学校へ今日は欠席する旨を伝えた。
 そのあと冷蔵庫の中身を確認するがこの体調で簡単に食べられるものがなかった。リビングのソファーで休憩しつつ他に簡単に食べられるものがあったかを考える。
 そのとき、部屋にチャイムの音が響いた。しかし俺は、そこまで行って対応することが難しい状態だったのでそのまま放置することに決定した。
 もしこれがこのみだとしても、あいつの料理のレパートリーに病人食というものがあるとは思えない。
 しばらくすると鍵の開く音と共に「タカくん、いないの?」と春夏さんの声が聞こえてきた。
 返事をしたいが普通の声さえまともに出ない状態なので、多少ふらふらしながら春夏さんを出迎えるためにソファーから立ち上がった。
 リビングを出るとちょうど春夏さんと鉢合わせになった。二人して驚いたが春夏さんは俺の今の状態にすぐ気が付くと肩を貸して部屋まで運んでくれた。
 俺がベッドに横になったことを確認すると、春夏さんは部屋を出た。数分後、水の入った洗面器とタオル、氷枕を持って戻ってくる。
「タカくん、今おかゆを作ってるからもう少しだけ待っててね」
 春夏さんには本当に感謝だ。

 春夏さんが「また来るわね」と言って家事のため家に戻っていくと、俺は眠気に襲われそのまま夢の世界へと旅立った。

    ◇   ◇   ◇

「……今何時だ?」
 目が覚めると日が高く上っているのがわかる。答えを求めない独り言。確認するのは自分なのだから。
「午後の一時くらいですよ」
 不意打ちだった。驚き、声のした方へ振り向く。
「おはようございます、貴明さん。調子はどうですか?」
「ん、朝よりは相当いいよ。それより……なんでここにいるの?」
 そこには俺の彼女である草壁優季がいた。
 午後の一時ならば、彼女は本来学校にいなければならない時間である。それなのにこうして俺の部屋にいるのである。嬉しいのを少し押し殺して聞いた。
「えっと、体調が優れないので早退してきました」
「優季の体調が悪いようには見えないんだけど……」
 分かってはいるが、一応しっかり優季の顔色を見てみる。……うん、悪くない。
「ええ、ですから貴明さんの体調が優れないので早退して看病に来ました」
 優季は笑顔でそう言い放つ。それにどれほどの威力があるのか分かっているのだろうか?
 俺は風邪による熱とは違う影響でクラっときた。顔も当然火照っているだろうが、風邪だからばれないはずだ。
「あの、迷惑でしたか?」
 俺が沈黙したのを不安に思ったのか優季が聞いてきた。
「正直言うと嬉しいよ。だけど優季に風邪を移しちゃわないか心配なのもある」
 俺がそう言うと優季はほっとした顔をしたあとに微笑を浮かべ「そのときは貴明さんに看病していただきますね」と言った。
「うん、そのときはそうするけど、移らないように気をつけてね」
 言ったとたん咳が出た。寝起きと風邪で喉が渇いてる状態で喋りすぎたらしい。
「スポーツ飲料でよろしければどうぞ」
 机の上においてあった二つのペットボトルの中身をグラスに移し変えて渡してくれる。
 スポーツ飲料は家には無かったはずなので、わざわざ買ってきてくれたらしい。
 それを受け取り一気に飲み干す。
「ありがとう、助かったよ」
「いいえ、何かして欲しいことがあったらどんどん言ってくださいね」
 優季はそう言うと胸の前で両手をキュッと握り締めた。俺はもう一度ありがとうと言った。
「そういえば、さっきこれに混ぜてたのは何?」
 これと言いながら俺はまだ持ったままだったグラスを指差す。
「ミネラルウォーターですよ。スポーツ飲料はそのままだと濃すぎますから」
 風邪のときは喉にしみますし、それだと貴明さんも辛いですよね?と続ける。
 俺は優季がそこまで考えていることに感心してしまった。同じ立場だったとしても、そこまで思いつけるとは思わない。
 感心しているとくぅ〜っという音が聞こえた。
 優季を見てみる。俺と目が合うと少し焦ったように言った。
「あの、貴明さんっ!……お腹空いてませんか?」
 だんだんと尻すぼみになってしまった。そんなにお腹がなったことが恥ずかしかったのか、と思うが表情には出さずに答える。
「そうだね、何かお願いできる?」
 はい、少し待っていてくださいね。と言うと優季は立ち上がり部屋から出る。優季はドアを閉めるために手をかけるとこちらを向いて声には出さず「ありがとう」と言った。
 優季がいなくなると途端に部屋の中が寂しく感じる。
 心のどこかであぁ、もう重症だな。と思うがこのままでも別にかまわないな。とも思っている。

    ◇   ◇   ◇

 甲斐甲斐しく優季に世話をされたおかげか夕方頃にはほぼ平熱となり喉の違和感もだいぶましになっていた。
「それではそろそろ帰りますね」
 外が暗くなった頃に優季はそう言った。普段なら送っていく所だが、さすがに病み上がりの状態でそんなことを言っても優季が絶対に了承しないだろう。
 それでも玄関まで送るよと言いながらベッドから立ち上がると、優季は素直にありがとうございますと答えてくれた。
「それじゃあ気を付けてね」
「貴明さんもすぐにベッドに戻ってくださいね。あと、お腹が空いたらお鍋の中にお昼の残りがありますから食べてくださいね」
 優季はそれだけ言うと靴を履きこちらを見上げる。
 それだけで何か分かったのは心が通じ合っている証拠なのだろうか?
 顔を寄せると優季は目を瞑った。
「ぁ……」
 小さく優季の声が漏れる。俺が離れると口付けされた頬を押さえながら不満顔で見上げてくる。
「風邪、移したら嫌だから」
 そう言うと優季は仕方が無いですねという顔をし、
「それでは貴明さん、おやすみなさい」と言って俺の襟を軽く引っ張る。
 あっと思ったときにはもう唇は離れていた。やられた。完全に油断していた。
 優季は微笑んでから「また明日」と言い玄関を出ていった。

    ◇   ◇   ◇

 次の日、俺は全快していた。
 朝食を昨日の残り物で終えると普段より少し早く家を出る。
 柚原家に行くと春夏さんが出迎えてくれる。昨日のお礼を言うと「そんなのは気にしなくていいわよ、家族なんですから」と言ってくれたのが嬉しかった。
「それよりもタカくん、彼女にもきちんとお礼をするのよ」
 あれ、何で優季が来たのを知っているんだ?と思っていると春夏さんは「昨日タカくんの家の前で困っていたから入れてあげたの」と言い放った。
 そういえば、優季が家に来るときは俺が一緒だからスペアキーの場所を知らないんだったなぁと思う。
 今度教えておこう。いや、それより鍵を渡してもいいか。
「今度来たときにはきちんと紹介してね」
 春夏さんの一言で現実引き戻された。楽しみだわなどとのたまいながらこのみを起こしに二階へと上がっていってしまった。
 どうやら紹介することは確定事項らしい。俺は苦笑し、このみが起きて準備を終えるのを待つことにした。

 結局、学校に着いたのはホームルームが始まる直前だった。
 雄二と駆け込むように教室に入るとちょうどチャイムがなる。自分の席で一息ついていると担任が入ってくる。
 礼をすると周りを見渡した。
「おー今日は河野がいる代わりに草壁が休みか。風邪が流行ってるみたいだから皆も気をつけるように」
 担任の言葉に優季の席を見るがそこには誰もいなかった。
 どうやら俺は今日、体調不良で早退することになるだろう。




                            おしまい。


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