冬下の空
――前略
日も昇りきった正午。なのに今日は、気温がまったく上がりません。
「はぁ〜、本当に寒いね〜」
ゴンドラの客席で、私は両手に息を吹きかけながらアリスちゃんと藍華ちゃんに言いました。
「灯里先輩、もう少しこっちに寄ってくれませんか?」
隣にいるアリスちゃんが私に少し寄ってきました。
「そこ、こっちは必死にゴンドラを漕いでいるのに肩を寄せ合って暖を取ってるなんていい度胸じゃない!」
今は藍華ちゃんがゴンドラを漕ぐ練習中なので吹きさらしに一人で立っている状態なので、小刻みに震えています。
私はアリア社長を胸に抱きながら、こちら側に寄ってきたアリスちゃんと二人で藍華ちゃんを見上げました。
「藍華先輩はさっきまでぬくぬくしていたじゃありませんか。しかも懐にカイロを入れていたのを隠していました」
そう、藍華ちゃんが客席にいたときアリア社長がずっと藍華ちゃんに甘えっぱなしの状態だったのを不思議がったアリスちゃんが、藍華ちゃんの懐を探るとケープの裏側からカイロが出てきたのです。
そのカイロも今はアリスちゃんのところにあり、藍華ちゃんは暖を取るものも無くゴンドラを漕いでいる状態なのです。
「一人だけ暖を取っていた罰です」
それにでっかいゆたんぽ(アリア社長)も独占していました。とアリスちゃんは付け足しました。
反論しても勝ち目が無いことが分かったのか、藍華ちゃんは私達から視線を反らしてゆっくりとゴンドラを前進させました。
「そういえばどうして今日はこんなに寒いのか知っていますか?」
そうアリスちゃんに聞かれて私は今朝のことを思い出しました。
◇ ◇ ◇
私が目を覚ましたとき、暖房が効いているはずの部屋の中にまで冷気が入り込んできていました。
肌を掠めるような寒さをこらえながら着替えを済ませ、アリア社長といっしょにリビングへと降って行っきました。
リビングに降りるとちょうどアリシアさんが出社してきたようで、マフラーを首から取り私たちに挨拶をしてきました。
「おはよう、灯里ちゃん、アリア社長」
「はい、おはようございますアリシアさん。今朝はいつもより寒くありませんでしたか?」
私はアリシアさんに挨拶を返しながら気になっていたことを尋ねました。アリシアさんはいつもの様に微笑みつつマフラーとコートをハンガーにかけながら言いました。
「そうね、今朝はいつにも増して寒いわね」
部屋の中でさえこれだけ寒さが入ってきているのですから外もやっぱり寒いようです。
「はひ〜、やっぱり外も寒いんですね〜」
私はアリシアさんと一緒に朝食の準備をするためにエプロンを装着しました。
お湯を沸かしている間にアリア社長の猫缶をお皿に移し、卵を冷蔵庫から三個取り出しました。そしてアリシアさんが温野菜のサラダを作り終えたときに、一緒に出せるようにパンをオーブンに入れて目玉焼きを作り始めました。
私のほうの料理がもうすぐ出来上がるというときにアリシアさんの温野菜のサラダも出来上がりました。
「灯里ちゃん、このトーストも持っていくわね」
「はい、ありがとうございます」
アリシアさんはすでに出来上がっていたトーストを大皿に乗せて運んでいきました。
「あら?アリア社長、新聞を取ってきてくれたんですか?」
リビングに行ったアリシアさんが少し驚きながら言いました。
「ぷいにゅ」
その答えにアリシアさんはアリア社長にありがとうございます、と言って新聞を拾い上げました。
そしてそのまま自分の席について新聞に目を通し始めました。
「あら?」
ちょうど私が目玉焼きを持ってきたときにアリシアさんは不思議そうな声を上げました。
「どうしたのですか?」
「灯里ちゃん、ちょっとここの部分を見て」
アリシアさんは私に新聞を渡しながらもう一方の手である記事を指差しました。
そこには『浮島のボイラー故障』と言う記事が載っていました。
「えぇ!アリシアさん、これって大変なことじゃないですか!」
私は思わず大きな声を出してました。
「ええ、そうね。これがずっと続いたら困ってしまうわね」
それでもアリシアさんは微笑みつつ言いました。
「でもね、ここにも書いてある通り『今日中には復旧の見込み』だから大丈夫よ」
そう言われて目を新聞に戻すとアリシアさんの言ったとおり副題に『今日中には復旧の見込み』と書いてありました。
私は焦っていたことに少し恥ずかしさを覚えながら記事を読み進めていきました。
「『今日の夕方には完全に復旧が出来る見込み』ですか」
「そうみたいね。今日は寒くなりそうだから風邪をひかないようにね。」
私は「はい」と答え、自分の席について朝食を食べ始めました。
◇ ◇ ◇
「浮島のボイラーが壊れたそうよ」
藍華ちゃんがアリスちゃんにそういったことで私は意識が引き戻されました。
「うん、でも今日の夕方には復旧の見込みだって」
私は急いで藍華ちゃんの言葉に付け足します。
「そうですか…ではこの寒さは今日だけのものなのですね?」
アリスちゃんの問いかけに私は答えようと口を開きました。
「予定通り復旧すればね」
だけど私が言う前に藍華ちゃんがちょっとだけ不吉なことを言いました。
「藍華先輩、あまり不吉なことを言わないでください……」
「そうだよ〜藍華ちゃん。今は暁さん達、サラマンダーが頑張ってるんだから」
それを聞くと藍華ちゃんはちょっと苦笑して「そうね」と言い、ゴンドラをアリアカンパニーへと着けました。
「はい、到着。後輩ちゃん、カイロを返しなさい」
冷たくなった手をアリスちゃんに出して要求しました。だけどアリスちゃんは、
「もう少しで暖房があるのでそこまでの辛抱です」
と言って、カイロを渡そうとしませんでした。
藍華ちゃんはそれを聞いてムッとした顔を一瞬したものの、すぐにいいことを思いついたらしくニヤリとしました。
「あ、そういうことを言っちゃうんだ……じゃあ、こうするわね」
藍華ちゃんはそう言った途端、アリスちゃんの後ろに回って首筋から冷たくなった手を差し込みました。
「ひゃうぅ!藍華先輩!それは、反則です!」
「はっはっは〜、カイロを渡さなかった後輩ちゃんが悪いのだ〜。行くわよ、灯里」
藍華ちゃんはアリスちゃんの背中に手を入れながらアリアカンパニーの中に入っていきました。
「あ、待って〜」
一瞬の出来事に呆然と見送ってしまった私は、アリア社長の身じろぎで我へと返り、急いでアリアカンパニーへと入りました。
昼食をとった私達は、雑談をしながら練習へと戻りました。
「でももし、本当にボイラーが復旧しなかったらどうしよう?」
さっきの藍華ちゃんの発言で少し不安になった私は二人に聞いてみます。
「そうね……そうしたらこのネオ・ヴェネチアにはもう住めなくなるでしょうね」
「はい、気温が上がらず、そのうち川が氷で閉ざされてしまいますから」
二人は少し考えたあとにこう答えました。
「まぁ、今まで復旧しなかったことなんて無かったけどね〜」
「はひ?今までにもこんなことがあったの?」
私は驚いてオールを離しかけてしまいました。
「灯里先輩はマンホームから来たので知らなかったのも無理はありませんね。その昔は頻繁に起こっていたらしいです」
それを聞いて少し安心しました。
「夕方には普及の見込みなんでしょ?じゃあその頃には直ってると思うわ」
私の不安は夕方になってボイラーが復旧することによって解消されることとなりました。
次の日
「何で今日はこんなに暑いのよ〜」
昨日とは打って変わってものすごい暑さです。
「復旧したボイラーの調整で全力稼動中らしいですよ」
「こんなに気温が上下すると体を壊しそうです」
あまりの暑さにアリア社長もへばってしまっています。
「あぁーもう、早く明日になってー!」
藍華ちゃんの悲痛な叫びが辺りに響き渡りました。
おしまい。
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