白昼夢

前略――

 目が覚めると、そこは朝の光で満ち溢れていました。
 少し、まどろみの中ですごしていた意識は一気に覚醒に向かい浮上していきました。
 ベッドの上で上半身を起こし、両手を緩く天に突き上げて体を伸ばしつつ近くにある時計に目をやります。
「はぇ?いつもよりも一時間も早い?」
 私はいつもの時間に起きたつもりでしたが、それよりも一時間も早かったのです。不思議に思っているとあることに気付きました。
「あ、もうこんな季節なんですね」
 そう、今は十月。私がこの星に来てから再び初夏がやってきました。
 いつもよりも早く目が覚めてしまったのでアリア社長を起こさないように、そっとベッドから足を下ろし、少しひんやりとした床の感触を楽しみつつ一階への階段を下りていきました。
(少し早いですが朝食の準備をしましょう)
 顔を洗い、歯を磨いてから朝食の準備に掛かりました。
 こんな朝早くに起きて朝食の準備をしているのが少し新鮮で思わず、鼻歌を歌ってしまいました。
 三十分くらいするとアリシアさんがダイニングにやって、少し驚いた様子で朝の挨拶をしてきました。
「おはよう、灯里ちゃん。今日は早いのね」
「おはようございます、アリシアさん。いつもの時間に起きたつもりだったんですけど、日が長くなったおかげで早起きしちゃいました」
「そういえば、もうすぐアクア・アルタの時期ね」
 アクア・アルタとはこのネオ・ヴェネツィアが水に浸かってしまう現象で、本格的な夏を知らせてくれるのです。この現象は地球(マンホーム)のヴェネツィアでも起こっているらしいです。
 もうそんな時期になったのかと少しだけ物思いに耽っていると、朝食に並べようと思っていた玉子焼きが、ちょっとだけ危ないことになりかけてしまいました。
 その内にアリア社長が一階に降りてきて食事と相成りました。
「いただきますね、灯里ちゃん」
「ぷいにゅ〜」
「はいどうぞ、アリシアさん、アリア社長」
 朝食を摂っているとアリシアさんが話しかけてきました。
「ねぇ灯里ちゃん、お願いをしてもいいかしら?」
「はい、なんでしょうか?」
「もうすぐアクア・アルタがあるでしょ。その間ゴンドラが使いづらくなって不便だから、そうなる前にお買い物を済ませておきたいの。行って来てくれないかしら?」
「わかりました。何を買ってきましょうか?」
「十日間くらいの食料品をお願いね。食材は灯里ちゃんの好きにしてくれてかまわないわよ。それとアリア社長のお気に入りがそろそろ無くなりそうだからそっちもお願いね」
「はい、任せてください!」
そうして和やかに朝食の時間が過ぎていきました。


「で、私たちはその付き合いなわけね」
「ごめんね、二人とも。練習の時間なのに私の買い物につき合わせちゃって…」
「いえ、わたしもまだアクア・アルタの準備が完璧ではなかったので問題ありません」
 いつものように三人で集まって通常のゴンドラの練習……とはならずに今日はアクア・アルタに向けての買出しになりました。
「そういう藍華先輩はアクア・アルタへの準備は出来ているのですか?」
「私?………………そんなのばっちりに決まってるじゃないの」
 その答え方に疑問を持ったアリスがジト目で聞いた。
「そのでっかい間はなんですか、藍華先輩?」
「ちょ〜〜っとだけ、おやつの買い置きが心配になっただけじゃない…」
 少しだけうろたえた様子で藍華ちゃんがそう答えました。
「そんなことより、どうせならゴンドラを使ってちょっと大きなお店に行かない?」
「でっかい誤魔化しです」
「うん、そのつもり。十日分だからちょっと多いの」
 さらにアリア社長のお気に入りもあるから両手では持ちきれなくなりそうなの、と付け足したら二人は抱えきれないくらいの荷物を持っている私を想像したのか苦笑して、手伝うよと言ってくれました。
 そうして三人と一匹でお買い物に出発しました。
「そういえばこんな話を知ってる?」
そう言って藍華ちゃんが少しだけ不思議な話を始めました。
「アクア・アルタが終わる時期になるとね、何処からともなく色とりどりの花を乗せた小さなゴンドラが大量に流れてくるんだって」
「流れてくる方に行った人はいないのですか?」
「それはいたらしいけど、結局誰が何処から流したのか分からなかったらしいわ」
「なんだかとっても素敵です!」
 そう言った途端、藍華ちゃんは私を指差して
「そこ!恥ずかしい台詞禁止!」
と、お決まりの台詞を言ってきました。
 藍華ちゃんの不思議な話はそこで終わりました。


 私の分の買い物が終わって、二人が自分のものを選びに再びお店の方に戻っていくのを見送って少し休憩をしていると、突然アリア社長が路地の方に入っていこうとするのを見つけました。
「アリア社長?」
 私もアリア社長につづいて路地へと入っていきました。そうするとアリア社長は路地の奥の方に向かって歩いて行きます。
「待ってください、アリア社長〜!」
 こちらの声に気付いたのかアリア社長は振り返りましたが、戻ってくる気配はなく私がこっちに来るのを待っているようでした。
「何かあるのですか?」
「ぷいにゅ」
 そういうとアリア社長は再び路地を歩き出しました。私はそれを追って歩いていきます。
 一本道の路地を五分くらい歩くと突然道が開けました。道が開けた先には階段があり、階段を下ったところには足元一面に色とりどりの花が咲き乱れていました。
「はわぁー……綺麗なところ…」
 思わずそうつぶやくと、花の手入れをしていた男の人がこちらに気付いて、優しく笑うと私たちを手招きしました。
「こんにちは、ここに来たのは君たちで三組目だよ」
 その人は土のついた軍手を外しながらそう言いました。
「こんにちは、ここの花は全部あなたが育てたのですか?」
 そう聞くと男の人は一瞬考えてから置いてゆっくりと頭を横に振りました。
「今はそうかもしれないがこの花を育ててきたのは僕だけじゃないんだよ」
 花たちの方を少し見て男の人は私たちに教えてくれました。
「この花はね、最初は女性が育てていたんだよ。その女性が少しここを離れることになったから僕が引き継いでいるだけなんだよ」
 苦笑気味に名前も知らないんだけどね、と付け足しました。
「ちょっと話しすぎたかな?まぁこんな辺鄙な場所だけどゆっくりしていっておくれ」
 近くにあるベンチを勧めながらそう言って、男の人は作業を再開しました。
 私はベンチに座ると、朝少し早く起きたのと買い物でたくさんの荷物を運んだ疲れから眠気を覚えて、うとうとし始めてしました。隣に座ったアリア社長も日差しが心地良いおかげでうとうとし始めた様子でした。
 私は少しだけ、藍華ちゃんとアリスちゃん悪いなと思いつつ眠ることにしました。
 私が眠りに落ちる直前に
「おやすみなさい、お嬢さん、猫さん。またいつかどこかで会いましょう」
男の人が言ったのを聞きました。
 私には男の人が言ったことの意味を理解する余裕も無く、そのまま寝入ってしまいました。

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「ちょっと、灯里!そろそろ起きなさい!」
「…あれ?藍華ちゃん?…おはよう」
 横になっていた体の上半身だけを起すと私はゴンドラに乗っていることが分かった。
「あれ?なんでここにいるんだろう?」
「何寝ぼけてるの、アクア・アルタの準備に買出しに来たんでしょ」
「うん、そうなんだけどね…さっきまであそこの路地をずっと先に行った所にいたの。凄く綺麗な花畑があったんだよ〜」
「それでは、行ってみましょうか?」
 アリスちゃんがそう提案してくれたので三人でその路地を歩いていきました。
 私たちはその一本道の路地を歩いて道が開けた場所へと辿り着きました。
 けれども、そこには花畑は無く水に埋もれた日溜りがあるだけでした。
「ほら、やっぱり夢だったんだよ」
「う〜ん…そうだったのかな?」
「灯里先輩、でっかい寝ぼすけです」
 私は疑問を持ちつつ路地を戻り、まだアリア社長が眠っているゴンドラへと戻りました。
 ゴンドラに戻るとアリア社長はまだ眠っていました。
 ふっと荷物の方を見ると、そこには他の荷物から隠れるようにして小さなゴンドラに色とりどりの花が咲き乱れていました。
 私は一人だけ笑顔になってゴンドラを漕ぎ出し始めました。


 その二日後、アクア・アルタはやってきました。


おしまい。


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